一番伝えたいこと
それは学校に通って良かった!ということです。受験を決めるまで様々な葛藤がありました。入学してからも様々な出来事がありました。それらを引っくるめて全て、かけがえのな大切な思い出です。
社会人から学生になることを迷っている方、心配だと踏み切れない方、興味のある方…経験者として少しでも伝えることができたら幸いです。

入学〜卒業まで、大まかな流れ
私は39歳で定時制の准看護学校に入学しました。それまでは働きながら家事育児に追われる、どこにでもいる主婦。久しぶりの勉強や実習に悪戦苦闘して准看護学師免許を習得。卒業してから1年間、准看護師として働きました。そして定時制の看護学校に入学。看護師免許を取得するまで、働いた期間を含めると合計6年。そのため卒業した時は40半ばでした。

准看護学校の受験を決意するまで
私には親兄弟、友人知人に医療従事者として働いてる人はいませんでした。ですが昔から、ふとしたときに「看護師になりたい」と思う瞬間がありました。
始めは高校生のとき。進路について考える時期に将来を考え、ふと「看護学校に行ってみたいな」と思いました。ですが当時は家の事情で親にも「進学したい」とは言えず、ひっそりと諦めて就職の道を選びます。
次は子どもを預けて働きに出ようと考えたときです。近くの病院で募集がありました。そこには「時短勤務相談可」と「看護助手募集」の文字があります。「看護助手なら資格がなくても病院で働ける!しかも時短も可能!」
迷いなど少しもなくドキドキして電話で問い合わせをしたら「わかりにくいけど時短は看護師のみ。助手なら常勤のみで夜勤もある」と返答。…はい、当時はものすごくガッカリしました。
「やっぱり資格がないと働き方は選べない世界なんだ。子どもが小さいし、常勤も夜勤も無理だ」「やっぱり学校に行ってみたかったな…」
後から考えたら助手さんをパート募集している病院もあるとわかります。しかし当時はそう考え「今の自分にはご縁がなかった」のだと、気持ちを切り替えて他の業種で仕事探しを再開しました。
3度目の正直でしょうか、転機がありました。その頃は息子らも留守番できるようになり、日勤常勤で看護助手として働いてました。
ある日、資格がない故にとても自分を無力に感じる出来事がありました。そのやり切れない思いを今は亡き母に話をしていたら「あんた、そこまで考えているなら資格取ったら?」と。
びっくりしました。何も知らない母が背中を押すなんて思いもしなかったからです。「いやいや、ムリムリ!これから息子らにお金かかるし、学校なんて行けないよ!」と反射的に言った直後、ふと「…本当にムリなのかな。もしかして行ける可能性あるかも…?」と頭を過ぎります。
10代の頃から憧れていた看護師への道があるかもしれない
この日から家族に迷惑をかけず、学校に行ける道を探し始めます
色々と検索、准看護学校を見つける
まずは近場から通学可能な範囲に、どんな看護学校があるか調べました。そして学校ごとに入学金、授業料、通学にかかる電車代。ある程度のお小遣いも必要になるだろうから、必要な金額は…
そう一番の心配は金銭的な問題。息子らはもう小さくない。でもこれから受験する息子らに迷惑をかけるわけにはいかない(よって私が貯蓄を使うわけにはいかない)。家事を疎かにできない。なので、その問題をクリアできたら道が開けます。
そんな中、定時制の准看護学校を見つけます。「ここなら午前中に働いて、午後から学校に行ける。そうしたら給与はこれくらいで…」「朝は〇時くらいに家を出るだろうから、学校に送り出す時間はあるだろうか…」「私の授業が終わって帰宅する時間はこれくらいで…」「でも実習が始まったら働けないだろうから…」などなど。ひたすら時間と必要なお金と仮定の給与計算をしました。
そして「2年なら通っても迷惑をかけない」と結論が出ます。
緊急で家族会議を開きました。なんだ、なんの話だ?と旦那と息子らは驚きの様子。それもそのはず、何も知らせてなかったのです。全ての心配を潰してから、始めて胸のうちを伝えました。
「息子らが社会人になるまで待っていたら、勉強や実習についていける自信がない。だから今年だけ受験したい。ダメならキッパリ諦める。最初で最後にするから」
色々と話し合って、最後にそうお願いをして「そこまで言うなら挑戦してみたらいいよ」と了承してくれた家族には感謝しかありません。
こうして39歳のある日、准看護学校を受験することを決めました。


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